ちょっとそこまで

今日はちょっと用事があったのでプネーという街まで行ってきました。わたしが滞在している街から各駅停車で一時間半くらいです。用事というのは、鉄道のチケット購入です。インドの鉄道では外国人用のチケットがあり、混雑期で一般のチケットが売り切れた場合でも、外国人用なら残っていることがあります。3日ほど前にインドの友人に調べてもらい、まだ少しだけチケットがあるという情報を得ました。ただ、外国人用チケットは主要駅でしか販売されていません。それで、プネーまで行くことにしました。

なぜチケットが必要かというと、4月下旬に大学が終わったあとさらに2ヶ月ほどインドに残る予定で、暑さを逃れて北の方へ移動しようと考えていたからです。ヒンドゥー教の聖地のひとつ、リシケシという街へ。

しかしながら、結局チケットは売り切れていました。「キャンセル待ち」という手段もあるのですが*1、しばらく考えてから、面倒そうなのでやめました。

プネー駅の切符売り場で、リシケシに行くべきかどうかしばらく考えていました。周りはチケットを入手しようと必死な人もいれば、あきらめたのか、あるいは何かを待っているのか、ベンチで横になって熟睡している人もいます。今日、プネーに来て、駅でぼんやりしているだけでも十分にインドが強烈に意識に訴えかけてきて、異文化について考えざるをえない状態です。つまり、「お腹いっぱい」。さらにリシケシに行く必然性があるのか?という疑問が湧いてきました。もちろん、「避暑」という目的はありますが、それ以外を考えると、近場[ちかば]でも構わない気がしてきました。

難しい話題なのでうまく説明できないかもしれませんが、シンプルに言うと、頭の中で起こる知性的な発展には二つの側面があると思います。ひとつは、「拡張[かくちょう]」でもう一つは「確認」。自分が知らなかった知識に触れることで頭の中味[なかみ]が拡張されます。つまり、新しいアイデアが頭の中に入ってきます。そして、それを自分のいままでの思考パターン、価値体系などと比較したりしながら、新しいアイデアの意味や重要性を確認するプロセスも大事です。新たなアイデアを頭のなかに入れた状態で、既知の物事を見るのも面白い経験です。自分にとって馴染[なじ]みのあるものが、いままでと違った風に見えてきます。

いま、わたしのなかにはインドに来てから仕入れたたくさんの情報が入っています。これ以上増やすよりも、頭に入ってるものがどんなものか、いまじっくりと確認したい気持ちの方が強いのです。だから、新しい情報を得られる場所(リシケシとか)に行くより、じっくりと自分の頭の中をのぞき込むことができる所にいたい。

以上、「チケットが取れなくて残念な気持ちになっている自分を慰[なぐさ]めるためのうまい言い訳を思いついた」というお話でしたw

このブログを読んでくださっている方はすでにお気づきでしょうが、わたしはこういう「面倒な」人間なのです(笑

(つづく)

*1:インドでは「 Waiting List 」というそうです。