なりたいもの

いきなりですが、わたしはある信念みたいなものを漠然[ばくぜん]ともっています。それは、「人は必ずしも自分がなりたいものになれるわけではないけど、(諦[あきら]めなければ)それに近いものにはなれる」という信念です。

わたしの「なりたいもの」ですが、高校生の頃になりたかったものの1つが「僧侶[そうりょ]」(お坊[ぼう]さん)でした*1。高校2年生のとき、進路調査のアンケートがありました。そのアンケートに「希望する進路:出家僧[しゅっけそう]」と書いた記憶があります。どうやら当時は俗世間[ぞくせけん]を離れて修行[しゅぎょう]に専念できる僧侶にあこがれていたようです。

今回、一日中[いちにちじゅう]瞑想をしていて、昔、自分がお坊さんになりたかったことを思い出しました。毎日毎日瞑想だけに集中するここでの生活は、まさにわたしがなりたかった「修行僧の生き方」そのものだと言えます。10日間という短い期間でしたが、高校生の頃の希望が叶[かな]ったわけです。

ちなみに、その翌年のアンケートでは「希望する進路:フリーター」と書きました。進路指導の先生方[がた]の溜息[ためいき]が聞こえてきます。どうやら当時のわたしは息苦[いきぐる]しい世間[せけん]から逃れ、自由になりたかったようです*2。そして、高校卒業後、フリーターになりました。コンビニの店員です。こちらの希望はすぐに叶ったわけです。半年ほどで辞[や]めてしまいましたけど。このころからわたしの人生の迷走[めいそう]は始まっていたのかもしれません。

*1:他にもなりたかったものがいくつかあるんですが、ブログに書くとちょっと問題がありそうなのも含まれているんで(笑)割愛[かつあい]させていただきます。

*2:念のために言っておくと、フリーターとは「自由人[じゆうじん]」のことではありません。アルバイトなどの非正規雇用[ひせいきこよう]で生計[せいけい]を立てている人のことです。ひと昔前[むかしまえ]は、フリーターはある意味では「自由な生き方」を意味していましたが、いまでは労働弱者の代名詞[だいめいし]になってしまいました。